一文字厨器株式会社
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堺一文字光秀の由来
 
堺
堺刃物は600年の伝統とよくいわれますが、それより以前からこの地には刃物を製造する下地があったと考えています。
堺には、周囲2.7キロ 面積46万平方メートルといった世界最大の広さをもつ大山古墳(仁徳陵)を含め東西南北4kmほどの間に 多くの古墳が築かれています。

造営には、鋤・鍬等土工具が大量に必要で それらを造った技術者集団の存在なしでは考えられません。その名残に 「日置荘 (ヒキソウ」という地名があります。その由来は 火吹きあるいは火置きではないかといわれ 技術者集団の鍛冶場集落が 存在していたのではないかと 伝えられています。

天文12年(1543年)ポルトガル人より たばこ、鉄砲が伝来しました。
堺では その様な素地の元 戦国時代は鉄砲を、江戸時代には堺極印をつけたたばこ包丁の製造をしていました。一説には優れた武器製造能力を持つ堺の鍛冶職人を 全国に散らばらせないための施策とも言われています。太平の江戸時代から徐々に 武器鍛冶が衰微していき余業が本業にとってかわり包丁鍛冶へとかわっていきました。

それから400年余 日本刀・鉄砲 の製造技術が下地となって包丁に 綿々と受け継がれています。
 
一文字
当社に伝えられている一文字成宗は、慶安三年(1650年)の銘が刻まれており、その精髄は今の包丁製造に受け継がれています。
一文字そのものの意味は真一文字に断ち切る包丁の鮮やかな切れ味を意味しています。
 
光秀
このような刀鍛冶技術を幕末から明治、大正、昭和にかけて 光之助、光一、秀男、秀司が伝えてきました。その名に因み先人達の総称として光秀を名乗っています。
 
なお堺一文字光秀と鍔のマークは、昭和37年より商標登録されています。
堺一文字光秀
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