2021.01.12

銀座 酔い処 宇平

銀座 酔い処 宇平

2017年東京、銀座に華々しくオープンした銀座SIX。その裏通りに、ひっそりとオープンしたお店があった。

酔い処 宇平。店主の堀務は、銀座の一等地で長く店主を務めていた。
有志がSNSでファンコミュニティを作り、常連同士でお店や店主の情報を交換し合っている。
愛される「酔い処」はどう作られてきたか。

 

大学で働いたお店が原点

山形県出身で、大学は弘前大学の教育学部に行きました。アルバイトをまずしないといけない、と思い下宿先の近くにあった酔い処 しゅうと言う居酒屋さんに入りました。

就職活動をしないといけなかったんですけど、サラリーマンとして働いている自分が想像できなくて、将来自分で何かがやりたいという気持ちが強かった。卒業前に親方に働かせてもらうように頼みに行ったのですが、「親に不義理なので、卒業しないと雇えない」と言われたので卒業してからそこで働くようになりました。

親方は刺身をひくだけでなく、かつら剥きやキャベツの千切りまですべて柳刃包丁でやっていました。銀行員で働いていて辞めてすぐに独立をしているので自己流でやっていたんだと思います。
ただ、そこにあるもので何とか工夫してやるっていうスタイルはその時から身に付けていきましたね。

当時自分がお金がなかったということで親父さんがくれた包丁は尺(刃渡り30cm)ぐらいあったのですが、
今でも使っています。だいぶ短くなりましたね。

親方は弟子が多かったですが、「他でも学んで来い」と兄弟子も4-5年で出されることが多かった。私も26歳で親方の元を離れて、父親が紹介してくれた浜松の名門和食チェーンに行きました。2年生の時にアルバイトで働いて以来なので、合計で6年半働いたことになります。

 

料理人としての幅が広がった浜松での仕事

鍋、惣菜、仕出し、懐石など非常に幅広い仕事ができたので、料理人としての幅はそこで広がったような気がします。当時はできなかったですが、すっぽんやふぐのメニューもよく出ていたので自分の中で世界が広がりました。

人も多かったですが、店長代理などを経験する中で、それなりにお店を回す力がついてきたかな、と思っていました。
30歳になり、やはり日本の中心東京で腕試しをしたいと思い、和食のチェーンに入社しました。

自分なりに腕を磨いてきた自負がありましたが、お店のメインを任されるようになったとき、東京のやり方というのが最初はなれませんでした。
料理を作るだけなら良いのですが、自分でメニューを書いたりとか。それは結構大変でしたね。

 

激戦区銀座で結果を出し、独立へ

そんな折、銀座に新しい店を出してそこで店長やってくれないかという話がありました。
社長の意向としては日本酒をメインにして、料理は珍味を中心にやりたかったようですが、
お客さんの反応に合わせてお店をやっていたので、料理が評価されていくにつれて料理が増えていきましたね。

でも、そこで昨年比で150%以上の売上が3か月続いたので、自信がつきました。
会社の方でも事業が拡大し過ぎたので、「そのお店を切り離すので独立してみないか」というお話があったのですが、持病もあったので手術をしてから検討します、と3日休んだら、
その間に別の人が店を受け持っていた。結局その人は1か月で音を上げてやめてしまいましたが。

 


舞台を用意してくれたのは会社だった

そこでもう「冗談じゃない」とやめてやろうと思ったのですが、いつもかわいがってくれたお客さんが飲みに連れていってくれて、それをきっかけに改めて自分と向き合ってみると「ずっと会社が用意してくれていた舞台があったからこそ、ここまで来れたという部分もある」と思うようになりました。

結局、会社のグループのお店を手伝うことにしました。いくつかグループのお店を転々としたのですが面白くなくて、やはり自分の店がやりたい。と会社に話し、前の店主が抜けた後の銀座のお店をやらしてもらっていました。
そのあと本社側の物件契約の事情でお店が続けられなくなってしまったので、それを機に「イチからお店をやってみよう」と思って作ったのがこの「酔い処 宇平」です。

この店は自分で金策をして、物件を探して作ったお店なので今度は自分が一から始めたと言う自負はありますね。

 


道具へのこだわり

道具に対してのこだわりですがやはり前の銀座のお店で、お通しを刺身にしていた(注:堀さんが店主を勤めた前のお店では、お通しが刺身の盛り合わせでした)
というのが非常に大きかったかなと思います。たくさん刺身を下ろしたので切り方を勉強することができました。 切れない包丁でも、美味しい刺身をひくことが出来ないわけではありません。
ただ、切れる包丁でないとできない仕事があります。例えば魚の筋繊維に対して平行に卸すことはできても、魚の筋肉の断面を直角に切ってきれいに見せる、という仕事は切れない包丁だとできません。弘法は筆を選ばず、と言いますが、本当に良い仕事は良い道具が必要です。
 

味が違う、とお客様に言われた


また、非常に驚いたのが、包丁による味の違いをお客様に指摘されたことです。二日連続で来た常連のお客様に、同じ魚の刺身を同じように切って出したのですが、「魚のランク上げた?」と言われたのです。最初は「同じだよ」と言おうと思ったのですが、包丁だけが違いました。前日までは霞の包丁だったのが、その日は本焼の包丁(堺一文字光秀 白撰鋼 水焼本焼 柳刃包丁 黒檀柄)をはじめておろしました。使う側は結構切れ方が違うのがわかりやすいものですが、お客様が全く同じ料理を美味しく感じるというのは驚きましたね。

 

「切れ味が良い」とは、「切ると味が良くなる」ということ

「切れ味が良い」、というが、どう切れるか、とかどのくらい切れるかという意味だと思っていたけど、本来「切った食材の味が良くなる」ことを「切れ味が良い」と言うんじゃないか、と思います。自分の料理の腕を上げるために、良い包丁を使う方が効率的なんだったら、自分なら買うなあと思いますね。

 

味も大事だけど、「人と人を繋げる場」にしたい

もちろん美味しい料理も作りたいし、たくさんお客様が入る店も良いですが、お客様と自分、お客様同士の人間関係が作られるようなお店にしたいと思っています。店主からもお客様一人ひとりの顔が見えて、癒しとか、楽しい空間を作りたいという気持ちの方が強い。最初に働いていたお店がそういうお店でした。
「酔い処 宇平」という名前も、最初に働いていたお店が「酔い処 しゅう」という名前だったのと、自分の親の会社、全然業種は違うけど、「宇平」という屋号を引き継いでいます。

人を育てたい

料理史を研究して、料理のなりたちとか作り方を教えるようなことをいつかやりたいと思います。飲食業自体にかなり波があり、いつまで体がもつかわからないというのもありますが、元々大学でも教育学部を卒業してるし、人を育ててみたいという気持ちがあります。

お店の中での上下関係や、なかなか若手に技術を教えないなどの風習は自分はあまり良いとは思わないです。若い人にとっても、今は色んな新しい仕事があります。リスクを取らずにできることがすごく増えている。やはり自分達でも人を募集してもなかなか集まらなかったり、すぐやめてしまう人が多いというのは、この業界が作ってきてしまった変えるべき風習なんだと思います。

修行という言葉自体が死語になるというか、「いくら耐えたからできる」というものではなく、あくまでも高い技術がその人の真価になる。自分の親方も、「自分は殴られたけど殴ったからっておまえ料理うまくなんないだろ?何でも教えてやるからわからないことがあれば聞け」と言ってくれました。

世の中にある仕事って、ほとんどが数十年前以内にできた仕事ですが、そんな中で料理人という仕事は何百年も前からあります。和食の技術も、厳しくして人がやめていくとなくなってしまうかも知れない。昔親方が教えてくれた「人間関係を繋ぎ、人の癒しになる」という料理人の素晴らしさを伝えていきたいです。

酔い処 宇平

住所
〒104-0061 東京都中央区銀座6丁目12-2 B1
 
予約・お問い合わせ
050-1308-8707
 
営業時間
 
17:00~24:00
 
定休日
月曜日
※営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。
 
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