2023.08.23

Bar 7th

Bar 7th
 

包丁にこだわるお店は美味しい

食材にこだわる飲食店が増えた中、その食材をより活かすために、料理人が行きつくのが包丁へのこだわり。包丁の質や手入れにまでこだわるお店は、例外なく美味しい。

グルメサイトのレーティングでは紹介しきれない本当に美味しいお店を、料理人の魅力を通して紹介する「味でつなぐ 料理人探訪」第10回目。今回は少し趣向を変え、大阪・阿倍野駅の近くにある、Bar 7thの鮎川正徳さん、フルーツカッティングに情熱を注ぐバーテンダーにお声掛けをした。

「Bar 7th」はバーテンダーという仕事に魅了された男と、彼を取り巻く人々の思いが結実した場所のように思えた。気さくなお人柄で、時折照れ笑いを浮かべながら口にする言葉は、常に誰かへの感謝が滲み出る。 

アラウンド・ザ・ワールドが開いた扉

僕は高卒でフリーターをしながら、バンドに精を出していました。でも、22-23歳になる頃には周りの友達が大学を出て就職し始めていたので、少し焦りを感じていました。

自分自身、会社員になるイメージは全く持っていなくて、手に職を持って独立したいなと漠然に思っていました。

中学時代陸上をやっていた経験を通して、自分はマッサージの才能があると思っていたので、資格を取って整骨院で働いてみようかなと思っていました。

でも、ずっと頭の片隅にあったのがバーテンダーという仕事です。

高校時代からお酒なんて飲めないのにカクテルブックを買って、友達に「このカクテルはこうやって作るんだ」なんて話したりしていました。

ある時、バンドメンバーのギタリストのお父さんが、僕とメンバーをバーに連れて行ってくれました。そして僕を指さしてバーテンダーに、「こいつ、バーテンダーになりたいんだって。なんか面白いの作ってやってよ」なんて言うんです。

しばらく考え込んだ後、そのバーテンダーはカクテルブックをペラペラめくって、ぎこちない手付きで「アラウンド・ザ・ワールド」を作ってくれました。今思えば、そのバーテンダーは決して上手ではなく、オーダーを受けて考え込むのも、カクテルブックを見ながら作るのも、決して褒められた動きではありません。

でも、若いバーテンダーが無茶振りに答えようと精一杯のメッセージを込めた「アラウンド・ザ・ワールド(世界一周)」を口にした瞬間は忘れられません。本当に美味しかった。自分の中の扉が開かれた気がしました。

あの一口が、私をバーテンダーの世界に導いたのかも知れません。

 

街のあかりのマスターとの出会い

最初は大阪の若者が集まる、アメリカ村のダイニングバーでオープニングスタッフとして働きました。そのうち、自分でオリジナルカクテルを作り出すと、若い女性客がすごく褒めてくれたりして、居心地はすごく良かったです。



ある日お店に転がっているカクテルの雑誌をなんとなく手に取ったときに、ふと、表紙にある「大会優勝作品」の文字が目に入りました。

「この世界には頂点があって、そこに向かって頑張っている人達がいる。」

「このままここにいても、調子に乗った兄ちゃんで終わってしまうんじゃないか。」

そう感じたあと、アルバイト募集のフリーペーパーを持ち帰るようになりました。

そんなときに出会ったのが堺市にあったバー「街のあかり」の求人募集です。マスターは当時バーでは珍しく、自分でホームページを作っていて、そこに大会に挑戦した記録が載っていたんです。

「このマスターの下なら、バーテンダーとして成長できるかも知れない。」
早速面接を申し込んで「バーテンダーになりたい。」と、これまでの経緯と思いを話したら、お店のメニューを僕に渡すんです。ほとんど頼む人がいないようなお酒まで、200種類くらいのお酒が載っていました。「うちの店ではこれを全部覚えないとやっていけないから」と。

 

マスターがくれた保険証

バイトの面接について「合格」の通知が来た日は湧き上がる嬉しい感情をすぐに捨て、もう必死になって勉強しました。

自分でノートを作ったりしながら、全部頭に叩き込みました。出勤初日からも必死です。先輩達を見るにつけ「この人は全部覚えてるんだ」と緊張しながら働いていました。

でも一週間くらいで、ふと気づいたんです。先輩が僕に「これどうやって作るんだっけ」と聞いたり、「よく覚えてんな、そんなの」と言われたり。

僕は前職の経験もあったし、メニューも全部覚えていた。しかし、先輩方は全然メニューの丸暗記はできていなかったんです。

お昼の仕事や結婚などで少しずつ先輩達も辞めていき、僕はシフトが増えて週4になり、週6になりました。当時は「休む」という感覚もなく、とにかくお店を支える一心で働いていました。

そんなある日、自分のロッカーを開けると僕の保険証が入っていたんです。嬉しくて飛び上がりそうになりました。当時のバーの業界で、雇用保険や厚生年金が整った正式な社員として働いている人なんてほぼいなかったんです。

今も一般的ではないと思うのですが、僕もマスターに倣って今のスタッフはできるだけ正社員登用をしています。

60人中58位からのスタート

その後マスターに習いながら、コンペティションに参加する準備を始めました。元々細かいことを言う人ではなかったので、ほとんど指導やアドバイスもありませんでした。ただ見守ってくださるという感じです。

バーテンダーのキャリアとして、一店舗目でそれなりにちやほやして貰い、二店舗目でも正社員登用して頂けるレベルではきちんと通用していて、本も覚えたし、練習もたくさんした。でも、最初に挑戦した大会では60人の参加者の内58位だったんです。ショックと「ここからがスタートだ」という気持ちが入り混じったような感情でしたね。

その後臨んだ大会には、マスターにとってのマスター、いわば大師匠にあたる方が見に来てくださったんですね。全く大会などには興味の無い方だったのですが、その方が演技を見て

「おまえはいつか、日本一になれる」と断言してくれたんですよ。

「60人中58位だった人間がなんで」という気持ちもありましたが、不思議な魅力のある大師匠のその時の言葉に、今も動かされている感覚があります。

ジュニア全国三位とマスターのことば

その言葉をはげみに頑張っていたのですが、全国大会でジュニア(29歳以下の部)で3位を取らせて貰って。周りでもそこまでの結果を残している人は多くなかったので、肩書としてはもう充分かな、と思って。

「ジュニアで全国3位にもなってるし、本戦(30歳以上の部)もういいんじゃないですかね」
なんてマスターに言ったんです。

そうすると、ほとんど僕に厳しいことを言わないマスターから、「そういうのは、一回出てから言わなあかんわ」と厳しいことを言われたんです。

「そういうものかな」と思って、一度出てみようと奮起して、大会で結果を残した方にお願いしてフルーツカッティングを録画させて頂いて。フルーツカッティングは10分と時間が決められているのですが、僕が見様見真似で同じカットをしようとしたら、1時間かかったんです。

「これはすごい世界だ」

と思って、必死に練習する。そうすると、普段の仕事の動きも変わってくるんです。無駄が削ぎ落とされる。ただカットするだけでなく、所作や切れ味まで意識するようになりました。

大会に向けた練習に時間を割きたいけど、もちろん自分の仕事がある。「街のあかり」は系列店ができて、僕はお店を切り盛りする仕事も頂いて。すごく良くして頂いたし、待遇も申し分なかったです。
でも、

「10年後もここにいるのと、ここを出る自分、どっちが成長してるかな」

と考えるようになりました。
そんな時、阿倍野にはハルカスができて、キューズモールができて。阿倍野でバーテンダーをやりたい。という気持ちがどんどん湧いてきました。

 

「街のあかり」卒業と独立まで

マスターに報告した時には、全ての覚悟が決まっていました。「実は阿倍野で面接を受けることにしました。合格しても、しなくても、私はここを出ます」

マスターはただ一言、「わかった」というだけです。マスターらしいな、と思いましたね。

次のお店は、バーテンダーとしての仕事もあったのですが、鉄板焼やランチまで仕事に入っていた。コンペティションの練習どころじゃなかった。

そんな時に、自分にとって理想的な物件を見つけました。当時誰に相談しても「やめておけ」と言われるような、人通りも無い路地裏だったのですが、閑静で駅からもそんなに遠くなく、阿倍野を拠点にしたかった僕にとっては運命のような物件だったんです。

貯金も少しはありましたが、いろんなところに頼んでお金を借りて、大工や厨房設備でも協力して貰い、この7thがオープンしました。最悪昼間にバイトすればお金は返せるなと思いました。幸い独立してからはずっとバー一本で食べてこれていますが。

やはりお客様が最初からたくさん来るわけでは無い。大会での結果は、お店の看板としても必要でした。やっと、自分ひとりで練習して大会の準備に取り組める。マスターや他の社員さんの目を気にすることなく、お店が開くまでに時間を作っては練習に明け暮れる日々でした。

しかし道はやはり厳しく、そこから全国大会に出るまでに、丸5年かかりました。

みんなの思いを背負った大会

本格的に大会に向けて練習するとなると、家族、スタッフ、先輩、いろんな人の協力が必要になります。結果を残している人に動画を撮らせて貰ったり、道具を担いで訪ねては自分の演技を見て頂いて、お客様に「惜しかったね」なんて言われたり。

毎年大会に出て、少しずつ順位が上がるに連れて、いろんな方に応援されるようになりました。

そうすると、いつしか自分のプライドやお店の看板のためだった大会が、みんなの思いを背負ってなんとか勝ち取りたいものに変わってくるんです。

正直、「そろそろやめようかな」という思いがふとよぎる日もあります。でも、そんな日に限って常連さんが「今年はいけそうか?」なんて聞いてくるんです。

そしたらまた頑張ろう、と思えて。

念願のアワード受賞

2022年、やっとサントリー ザ・カクテルアワードで優勝させて頂きました。日本バーテンダー協会の主催する大会は、優勝すると次の大会には出られなくなります。

でもメーカーが主催する大会はそんな制限もない。昨年のサントリーのコンペティションは、各年の協会主催大会の優勝者がたくさん出場されて、オールスターみたいな大会になっていました。

そんな大会で優勝することができた。やっと少しは恩返しできたかな、という思いはあります。

マスターやマスターの師匠に報告した時は、「NBA(日本バーテンダー協会)の大会で優勝しないと」なんて言われましたが。

これからも、まだまだ挑戦はしていくつもりです。

持った時のバランスと切れ味

大会で披露する演技の一つにフルーツカッティングがありますが、求める包丁はやはり薄さと切れ味です。私は煌シリーズの粉末ハイスダマスカスのペティナイフを愛用しています。もちろん切れ味が良いのに越したことは無いですし、刃持ちが良いところも気に入っています。

砥石を何種類も買って、自分で研ぎを研究しています。ただ僕は、大会の前には必ず一文字さんで研いで貰っています。

研ぎ上がりすぐは、切れ味が良すぎてフルーツが刃にくっついてしまう。僕はそこから1週間くらい使った頃の切れ味が最も好きです。

秒単位のスピード、所作、完成度の勝負なので、手に馴染む感触やバランスも重視してこの包丁を選びましたね。切れ味で演技やフルーツの断面の美しさも当然変わります。
やはり研いで貰ったもので大会に臨みたいですね。

次の大会ですか?
はい、もちろん優勝を目指しています。

Bar 7th

大阪府大阪市阿倍野区松崎町 3丁目17-13
営業時間
19:00-翌2:00
 
定休日 日曜日