慶安初期の刀匠一文字成宗をブランドのルツとし
初代田中久香が大阪の道具屋筋に店をオプンして70年近く
堺の包丁を広めたい一心で始まった小さな小屋は
今では2000種類以上の包丁を手にして頂ける場所となりました

600年続く堺刃物の伝統と
料理人たちの要望に応え続けた進化の積み重ねこそが
堺一文字光秀の真髄です

今なお店頭で輝く一文字成宗の作刀と
日本食文化を支えてきた上方の料理人とともに
これからの時代に食文化をつないで参ります

私たちの歴史

創業者の田中久香は、第二次世界大戦の間、
学徒動員によって鉄の加工場で働いていました。

戦火が去り、平和が訪れた矢先。 久香は1945年に父を、1948年には母を病で亡くしました。
当時18歳、弟の梅若を大学に行かせてやりたい。
親戚の紹介により、道具屋筋にある川西厨房店で働きながら、一つの思いを胸に抱きます。

写真提供:生田誠氏 協力 三井住友トラスト不動産(株)
田中久香が従事した帝国車輛工場
(写真は1912年、前進である梅鉢鉄工所時代のもの)

写真提供:生田誠氏 協力 三井住友トラスト不動産(株)
田中久香が従事した帝国車輛工場
(写真は1912年、前進である梅鉢鉄工所時代のもの)

鉄の加工技術を活かして、包丁を作ろう。

堺に飛び込み、包丁作りを教えて欲しいと職人を訪ねます。

※写真は1987年、包丁の製作工程を紹介する田中久香(中央)
※写真は1951年、前列左から2人目が田中久香

そこで久香が学んだのは、
当時でさえ信じがたい職人技でした。

1100度の炎の前でハンマーを降り下ろし
わずかな色の違いを見極めて焼きを入れ、ミクロの違いを研ぎ上げる。

久香は、技術と魂がこもった包丁作りを学び、これを世に広めたいという気持ちは日に日に強くなっていきます。

1953年。
商売の恩師である川西鶴吉の許しを得て、
田中久香は道具屋筋に
念願の包丁店をオープンしました。

西日本中の料理人が集まる道具屋筋で、様々な要望に答え続け、
2000種類を超える包丁を手に取って頂ける、おそらく世界でも唯一の場所となりました。
初代、田中久香が目の当たりにした職人技とその思いは、
今も受け継がれております。

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